かつては、小さなあめ玉ひとつで十分に心躍ることができた。
いま、あの、喜べる感覚があったなら、とても豊かでいられるかもしれない。
bonbon(ボンボン)。
フランス語で、飴玉、キャンディーの意味。
時に、甘いお菓子たちをひっくるめて、そう呼ぶことも。
「ボンボンを買ってあげるから」
私が小さかった頃、
そう言われることは、耳にとても甘く響く、大きな誘惑のひとつでした。
大人たちからのご褒美、あるいは、愛されていることのしるしのような。
ボンボンを買ってもらうには、
誰かのお手伝いをしたり、何かができるようになったり、
いい子であるとか、成長するであるとか、
何か喜ばしい物事を提供する必要がある、と信じていました。
ボンボンは、その名の通り、飴玉であったり、
時に、アイスクリームやチョコボールであったり。
それは、リクエスト通りのもの、大人に選ばれたもの、
都合やタイミングでいろいろあったけれど、いづれも、
それらを手にする瞬間は、
いつだって、心躍っていたってことは確かなことでした。
いつからでしょうか。
ボンボンの存在が生活から消えてしまったのは。
ある年齢から、ある時代から。
もっと素晴らしいもの、もっと価値のあるもの。
もっと自慢できるもの、もっと、もっと、もっと。
だから、きっと、たくさんの豊かさを手にできたはず。
おそらく、あの頃よりは、ずっと。
それなのに、
あの瞬間ほど満ち足りたことなど、あったかしら、と、ふと。
あめ玉ひとつで喜べた、あの瞬間は、
いったいどこへ行ってしまったのだろう、と。
そして、思うことは、
もしも、そういう気持ちを、呼んでくることができたら、
もしも、かつての純粋に喜べる方法を、思い出せたなら、
毎日がとても楽しいかもしれない。
満ちる時間が増えるかもしれない。
そんな風なあれこれを、いろいろ。
昔は誰もが子供でした。
そして、本当に好むものを選ぶ勇気がありました。
ありのままの自分で過ごせる心地よさ、感覚。
その心のありかへと、導いてくれるような、きっかけ、もの、こと。
“des bonbons.”ボンボンたち。
そう、日々が楽しくなっていく、術(すべ)となるような。
かつては子供だった、大人たちのボンボン。
それらを探して、考えて、創っていくこと。
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