【あの憧れのゆくえ】
いつもと同じような日常。
いつもと同じような景色。
だけれど、
日常は同じではなくて、
景色も同じではなくて、
同じような風貌を装って。
同じような気分を繕って。
ゼロになんて、戻れはしない。
そんなことは、わかっている。
ゼロに戻ろうとする針は、
今生まれたばかりの風に、
いとも簡単に押し戻される。
そして、また途方にくれる。
せめて、目には見えない奥深さを。
せめて、肌ではわからない感覚を。
あなたはわたしを見守るふりをして、
わたしはあなたがわたしを見守るふりに気づかないふりをする。
あの憧れのゆくえを探しながら。
あの憧れは既にここにあることを、
うすうす感じながら。
人それぞれ、落ち着く場所、というのがあります。海だったり、山だったり、街だったり、雑踏の中だったり。生きてきた記憶の積み重ねで、人それぞれだと思います。
その落ち着く場所で心を整えていくわけですが、心をニュートラルにしたり、ゼロに戻すということは、そう簡単ではない、と個人的に思っています。少なくとも、私はヨガをしても、好きな場所に行っても、心をニュートラルにもゼロにもできません。
ただ、落ち着く場所に行くと、記憶を鎮めて人生の舵の方向を変えるきっかけを探すことはできるかもしれない、と思っています。それは、時に、うまくいったりいかなかったりですが、今の自分が作られた時間のパーツは入れ替えることなんてできないので、変わろうとあがけばあがくほど変われない気がするのです。
最近は、できるだけあらゆる思いを受け入れ、消化できるようになりたいな、と思います。出会う人々に緊張感や、不快な思いをさせないような、優しい皺を刻めていたら、いいなぁ、と。
一見無地とも思える生地でも、実は、精巧な柄が折られていたりするのと同じように、人の表情も一見ではわからない奥深さがあります。その奥深さを察知できる感度を磨きたいと思うのです。
人生は穏やかな時は良いけれど、苦しかったり、悲しかったり、絶望の壁の前で、途方にくれていたり、そんな時も必ず巡ってきて、そのたびにゼロに戻りたいと思っていたけれど、そう思う事自体、その感情に執着しているのかもなぁ、と思うようになりました。
あらゆる感情を時々の風の中で、辛抱強く見守ること。それを受け入れる潔さが、大人になった今を支える術でもあると思うのです。
Monoloque(モノローグ)について
本当の本当を探る、ささやかな時間。思いと現実のズレを整える術として。