数年前、仕事帰りに乗った電車の中でのことです。
夜10時前後だったでしょうか。
乗客はまばらで、私はシートに座っていたところ、
途中停車駅から、賑やかな笑い声とともに熟年カップルが乗り込んできました。
二人ともいい具合にお酒が入っている様子で、向かいの席に座り、とても仲良く楽しそうでした。
夫婦か、恋人か、ただの友達か、秘密の関係か、そんなことを考えながら、私は、何気なく、でも、じっと、二人を見ていたのだと思います。
すると、女性がふと立ち上がり、いきなり、私の前へやってきました。
迷いなく、ずんずんと。
何故か、無意識に叱られる、と思い込んでしまった私です。
即座に目をそらし、体を固め、息を小さくして、視野に入るだけの状況の行方を追っていました。
そんな私のことなど微塵も気にすることはなく、その女性は大きなショルダーバッグの中をゴゾゴゾ。
しばらくして、何かを探り当てると、それらを掴んで取り出しました。
チョコレートとキャンディーひとつかみ分。
それは、唐突に私の顔の前に差し出されました。
どれも近所のスーパーでお馴染みブランドのもので、それらが脈絡なく混ざり合っていました。
私は、驚き、同時に可笑しくなり、
全く躊躇せずに、てのひらをひろげて、それらを受け取ってしまいました。
そして、その女性は、「かわいいわね」と笑ったのです。
この世のことを何も知らない子供に言うような口ぶりで。
電車を降りて、家路を歩いている途中、
謎の女性から手渡されたキャンディーをひとつ、包みをむいて、口に入れてみました。
甘ったるいミルク味。特別美味しいわけではありませんでした。
でも、なんだか嬉しくて、どこか懐かしくて、
私は、急に、満たされた気持ちになりました。
そうだ、ボンボン。あの、感覚。
かわいいわね。
小さな褒め言葉と、小さなご褒美。
十分に愛されている、という大きな安心感。
昔々、あめ玉ひとつをまっすぐに喜べたのは、
自分の存在を認めてもらえた合図だったからかもしれない。
そして、それを疑う余地を持たなかったからかもしれない。
大人から子供へ向けられた、お決まりの施し。
そう、それは、小さな子供の頃、確かにそこにあった感覚でした。
大人になった今、その記憶が浮かび上がってきたのは、全く驚きで、
それは、私にとって、とてもステキな瞬間として記憶されました。
いろいろな体験を重ねると、自動的に損得勘定が作動してしまいがちで、
純粋に喜ぶチカラが、弱ってしまっていることにも気づかされました。
ボンボン(bonbons)。
本当のヨロコビを感じるまっさらな気持ちと、それを呼び寄せるきっかけ。
それを見つけたり、考えたり、作っていったりしてみたい。
これから重ねていく日々に、気持ちの矛先が定められた瞬間でした。
大人のあめ玉。
それが、当サイト『大人のボンボン。』の名の由来であり、当サイト開設のきっかけです。