自信満々の大人って、どれくらいいるのかな。
あなたやあなたのまわりはどうですか?
かつて、常に自分に自信がなく、人生をびびりながら生きてきた私にとって、「自信」は憧れのひとつでした。
わたしって、何も持っていない!
だから、人一倍頑張らなくちゃ。
だから、個性を見つけなくちゃ。
だから、スキルを磨かなくちゃ。
さもないと、大変なことになる。
とか、本気で思っていましたし、よって、生活全般、歯を食いしばっている感じで、気が休まる暇がない状態で人生を歩いていましたね。
そして、そんな私の信念を、何度となく溶かしてくれたのが、江國香織さんの物語や文章でした。
先日、世田谷の教育広報紙「せたがやの教育」に掲載されていた、江國香織さんのインタビュー記事に触れて、「自信がない」を溶かす魔法を思い出したので、自分のために、メモっておきたく思います。
【自己肯定】自信がない、を溶かす魔法
「自信がない」状況の時って、自己肯定感が低い、ということでもありますよね。
自分なんてダメだ~と、自分が信じている状態。
その原因として考えられるのが、大きく以下の3つの状況にあると個人的に考えています。というか、私はそうでした。
- 正解の人生を目指している
- 他人との比較地獄に陥っている
- 自分に何も武器がないと思っている
これら、全て思い込みですね。
で、この3つの思い込みが、心に鎮座している限り、自信がない状態は永遠と続きます。
逆に、この3つの思いが心から出ていけば、おおむね自信がない状況からは抜け出せてしまいます。
この思い込みを溶かすメッセージが、江國香織さんのインタビュー記事にちゃんとありました。
では、具体的にお伝えしていきますね。
【1】正解の人生を目指している
人生や生き方に「正解」を設定すると、それ以外は全部不正解で、人生にダメシールを貼ることになりますよね。
でも、その「正解」とは、そもそも、
- これまで自分が「正解」と信じてきたこと
- これまで自分が「常識」と信じてきたこと
に他なりません。
そう、世間と自分が自分で創った、ただの刷り込みなんですよね。
今回のインタビュー記事には、江國香織さんが「子どもたちに伝えたいこと」が綴られていますが、その中で、正解は存在しないことを前提にした方が生きやすい、というような内容があります。
逆に、多様性を受け入れる柔軟性が大切、と。
正解と いうものは、存在しないという前提に立った方がいいんじゃないかなと思います。思い込んじゃうと、聡い子どもは一直線に正解に ダーッと「これが、正解。」っていうふうに進んでいっちゃうから、そうすると絶対に多様性は生まれないので、正解じゃなかった人なり、考え方っていうものをだめとしがちですよね。
引用:教育広報紙「せたがやの教育」PDF
そう、自分で創った「正解」縛りに自分が縛られてしまうなんて、ちょっと滑稽。自分にダメ出しを続けて、自信を失うなんて、ほとんどコントです。
正解なんてないを前提にするのが、正解。私もそう思います。
世の中には、人の数だけ考え方や思いがある、ということ。自分と違う意見や考え方があるってことを受け入れるだけ。
それを知れば、自分の個が自然と受け入れられるはず。心のベクトルは「自己肯定」に向かいます。
でもね、簡単ではないですよね。頭では理解しても身についてしまった考え方のクセはなかなか修正できないものだから。
多様性に大いにうなづいていたとしても、
- 常識的に考えたら、それはちょっと
- 権威ある著名人が言った情報だから
- 正社員じゃないと生きていけない
とか、かつて自分が信じ続けてきた「正解」に思考がひっぱられる場合もあったりしますよね。
多様性を受け入れるには、子どもの頃から、いろいろなものやことを見たり、体験したりして、徐々に馴染んでいくもの。
でも、大人になってからだって、見たり、体験したり、を重ねていけばOK。
ちなみに、私は、転職とひとり旅を重ねて、多様性を受け入れられた気がします。(転職7回/海外ひとり旅8回程度)
もちろん、いまでも思い込みを引きずってしまう場合もあるけれど、20代の頃に比べたら、その枠が薄く、壊しやすくなっていると感じています。
やっぱり、自分の枠を外すには、知らないものやことを体験することだな、とつくづく思います。
【2】他人との比較地獄に陥っている
学歴、友人の数、装飾品、スキル、貯金、容姿、モテ度、資格など、他人と自分を比較して、勝手に落ち込んでしまうこととかも、自信がなくなる思考のワナ。
- 兄弟と、
- 同僚と、
- 友人と、
- メディアで紹介される平均値と、
自分以外の誰かと戦ってしまっている状況。これでは、日々、戦場に立っているようなもの。心休まる暇がありませんよね。
他人と比較すると、勝っていても、劣っていても、心が落ち着きません。
勝っていれば、一瞬の優越感を手にし、劣っていれば、嫉妬し、自己嫌悪に陥り、自己肯定感ガタ落ち。
他者比較に陥っている時は、意識が外に向いている証拠。そうなると、自分に集中できないから、実力が十分発揮できなくなりますよね。
逆に、比較意識から外に出て、自分に内側の声に意識を傾けて、その声を信頼できれば、それだけで満たされてくるはず。こうなると、自分を自分で認めてあげられますね。
ただ、言うは易し行うは難し。
この「比較」意識も前述の「正解」神話と同様、ポン、と外れるものでもないということも承知しています。
こんなことを書いている私だって、時々、苦しめられたりします。そう、人間ですから。
比較意識から外れる方法は、
- 自分の決断した行動に没頭する(夢中になる)
※今するべきことにフォーカスして没頭 - 嫉妬の対象となっている人がやっていることを自分もやってみる
※嫉妬は、自分がやりたかったことをやっている相手への羨望でもあるので
個人的な例としては、ジムでダンスのクラスなんかに出た時、1週目休んで振付覚えていないと、踊れない自分を恥ずかしい、とか思って、覚えられるまで何かいつもよりできてない、っていう状況に陥ったりします。
その横で、初チャレンジの人が、ガンガン覚えようと集中していて、結果、何気に楽しそうだったりしていたりします。
そして、あぁ、これでよいのだな、って反省させられたりするわけです。
そう、自分に集中して楽しむ、って方が、絶対、健全なんです。
「比較」意識が出てくるたびに、何度も何度も自分に戻るトレーニングをしていくことで、徐々に、自分にうなづける自分になっていけます。こちらも、徐々に、です。
【3】自分に何も武器がないと思っている
自分には何もない、という思いにとらわれると、途端に途方に暮れてしまいます。
私は30代の時、この呪いにとらわれて、資格やスクールやセミナーに東奔西走していた時期があります。人生の鎧固めをしていたわけです。
ただ、全般、やりたいこと、というよりも、やった方が良い(損得勘定ですね)ことを見繕ってやっていたので、充実感というよりも、常に疲れていました。だって、心が熱望しているものではないから。
そして、振り返れば、結局、そのスキルのほとんどは活用することはありませんでした。そう、エネルギーとお金のムダ使いしまくっていたわけです。
今、自分が50代になって思いますが、私が憧れるのは、ただ、好きなことに集中して生きてきた人。そういう生き方をしてきた人は、60代でも70代でも本当に美しい。そして、資格なんて持っていない人がほとんどです。
年齢を重ねて、幸せなのは、ただ一つでも、好きなことがある、好きなことを知っている、ということだと私は思っています。
でもそれは、長い人生の中で、いろいろな体験を通して巡り会えるものなのだと思います。
子供の頃から、何かを持てとか言われても、ムリな話です。だって、自分の中に、興味を持てるデータが圧倒的に少ないのだから。
江國香織さんのインタビューの中で、今回、子どもたちへのメインメッセージとなっているのが、以下。
何も持っていなくても全然平気
そのままでいて絶対に大丈夫だっていうことを伝えたい
江國香織さんご自身が、子供の頃、何もできなかったし、何も持っていなかった経験上、全然それで問題ない、とお話されています。
あぁ、本当にその通りだと思います。
子どもたちへのメッセージ
子どもたちに大人は、夢を持とうとか、目標を持とうとか、何か持たせよう、持たせようとする気がするんですけれど、でも、子どもってあんまり持っていないと思うんです。
まだ、生まれてからの時間が少ないので、やりたいこととか目標とかも、あまり分からないし、友だちだって、たまたま同じクラスにお友だちはいるでしょうけれど、大人みたいに「こいつは一生」とかみたいなことは、ほぼ起こらないでしょう。
だからね、何も持っていなくても全然平気だって言いたいです。何となく持っていないことが後ろめたかったし、自分はちょっとだけれど、そんなこと全然ないし、そのままでいて絶対に大丈夫だってことを伝えたいかな。
引用:教育広報紙「せたがやの教育」PDF
「正解」「比較」「武器」を躍起になって求めるよりも、世界中の多様性に触れて、いろいろ見たり体験したりしながら、自分の心が動くもの、ことを見つけていけばいいのかな、と思います。
そして、心が動くもの、ことが目の前に現れたら、それに触れてみる、集中してみる。そんなことの繰り返して、自分への信頼が厚く育っていくものなのかな、と。
というわけで、私の持論ですが、
「自己肯定」は、人生の中で多様性に気づき、それを受け入れながら、心の声に従って確かめた体験の積み重ねで整っていくもの、なのではないかな、と思います。
江國香織さんの作品について
個人的に江國香織さんの作品に触れて、多様性をおもしろがれるようになった部分がたくさんありました。
江國さんの作品に登場する主人公は、常識から静かに逸脱している女性が多くて、私にとっては、そこが一番の魅力だったりします。
そう、物語を読むたびに、いつも「こんな女性になりたいな」と思わされてしまうんです。
「真昼なのに昏い部屋」の美弥子さん
主人公の美弥子さんは、社会性とか、倫理観を超えて、自らの気持ちに責任を持つことを優先して、きちんとした不倫妻になる決意をします。
不倫は推奨できる行為ではないけれど、独特な心模様を楽しめる作品です。
「罪悪感というのは、自意識にすぎない」というセリフも、心に残りました。
「ウエハースの椅子」の私
古いマンションでひとり暮らしをしている、38歳の画家である私が主人公。
仕事も恋人とも順調にいっているのだけれど、「孤独」との共存からはのがれられません。
自立した女性の責任ある選択は、とても美しいと思った作品。
まとめ
江國香織さんのインタビュー記事にあった、子供に向けたメッセージ
何も持っていなくても全然平気
そのままでいて絶対に大丈夫だっていうことを伝えたい
を目にして、大人の「自信がない」を溶かす魔法を思い出したので、メモっておくことに。
大人が「自己肯定」できない原因は、大きく以下3つ。
【1】正解の人生を目指している
【2】他人との比較地獄に陥っている
【3】自分に何も武器がないと思っている
これらは、どれも思い込み。
これらの思い込みを外して、自己肯定感を高めるためには、多様性を受け入れて楽しむチカラが必要。
そのためには、正解主義、比較地獄、何もない自分神話に対し、そうではない実証体験を重ねていくことが大切。
嫉妬の気持ちに出くわしたら、それは羨望の証。怖くても、それを自分で体験してみることで、自分を徐々に信頼できるようになってくるはず。